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コラム

コラム
2025.10.06

現代でもなんだかお洒落に見えるような気がするBlueNoteアートワーク


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ジャズレコード会社 BlueNoteのジャケットアートワークって、現在の視点から見てもなんかお洒落ですよね?
とうことでBlueNoteのジャケットを手掛けていた、カメラマンのフランシス・ウルフとデザイナーのリード・マイルスを深堀していこうかと思います。

アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフ

ブルーノート・レコードの創設者、アルフレッド・ライオンは1987年2月2日、78歳でこの世を去りました。
彼は至高のJAZZレコードを世に広げるという信念の元、1939年にブルー・ノートを立ち上げました。

アルフレッド・ライオンは
「ブルー・ノート・レコードはひとえに、妥協のないホット・ジャズやスウィングを世に届けるべく生まれたといえます。正真正銘の音楽的な情感を伝える演奏だけが、本物の表現なのです。時と場合に応じたその重要性が、音楽に伝統や形式、そしてそれを生かし続けるリスナーをもたらすのです。つまりホット・ジャズは表現であり、コミュニケーションであり、社会を映し出す音楽なのです。ブルーノート・レコードは売上や話題ばかりを求めるまやかしのそれとは異なり、ジャズの衝動性を見出すことを目指すレーベルです」。
という公約を掲げ、そして誰もがBlueNoteはこの公約通りの会社であると首を縦に振るでしょう。

1930年代前半にナチス統治下のドイツから逃れたアルフレッド・ライオンは、第二次世界大戦が勃発した数週間後に、昔からの仲である友人をドイツから亡命させるための手助けしていました。その友人こそが名カメラマンのフランシス・ウルフで、彼もまたアルフレッド・ライオンと同じくユダヤ人でした。このふたりがブルーノートのブランドを作り上げたのです。フランシス・ウルフは1971年3月8日にニューヨークで亡くなっており、彼がこの世に残した大きな功績は、たったひとりで”ジャズ写真”のあり方を覆したことだと思います。ひとつの光源のみを使って撮られた彼の白黒写真は、数えきれないほどのレコードのジャケットにあしらわれ、ブルーノートらしさを形作るひとつの要素になりました。

リード・マイルス

アルフレッド・ライオンが亡くなってから6年後、ブルーノートの名声を築くうえで欠かせない、もう一人の重要人物もこの世を去りました。
ただし、その人物はアルフレッド・ライオンやフランシス・ウルフのような「ジャズ愛好家」ではありませんでした。そんな彼の名はリード・マイルス
ブルーノートの数々の名盤を彩ったデザイナーです。彼自身はジャズよりもクラシック音楽を好んで聴いていました、その卓越したデザインセンスはブルーノートの世界観を作り上げるうえで、なくてはならない存在でした。
リード・マイルスがブルーノートのレコードデザインを手がけ始めたのは、彼が28歳のとき。
当時、雑誌『エスクワイア』のデザインをジョン・ハーマンセイダーと共同で担当していた彼は、1955年後半にハンク・モブレー・カルテットの10インチLPのジャケットを二人で制作しました。
そして、数か月後に発売されたシドニー・ベシェのアルバムでは、初めて単独でデザインを手がけることになるが、
この作品は「モダンジャズ」と呼ぶにはやや古風なデザインだった。
しかし、ジャズに深く入り込みすぎなかったことが彼だからこそ、音楽の内容やタイトル、録音の背景などに縛られず、自由で洗練されたデザインを生み出すことができたのかもしれません。もちろん、それを支えたのは、フランシス・ウルフの優れた写真でした。そうして彼らが手がけたブルーノートのアルバムジャケットは、モダン・ジャズをはじめとするレコードデザインの手本となっていきます。

やがてリード・マイルス自身も写真に興味を持ち、ウルフの写真が自分のイメージに合わないときは、自ら撮影を行うようになった。
ただし、彼がウルフの撮影した写真を大胆に加工してしまうこともあり、それが原因でウルフを怒らせたこともあったという。
彼が撮影した写真が使われている代表的なアルバムには、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『Like Someone In Love』エリック・ドルフィー『Out To Lunch』ハービー・ハンコック『Takin’ Off』などがある(それ以外の多くの写真はフランシス・ウルフによるもの)。

とはいえ、リード・マイルスの報酬はアルバム1枚あたりおよそ50ドル程度と決して高くはなく、専属契約でもなかったため、1日で数枚のデザインを仕上げなければならないこともありました。
1960年代に入ると、彼はブルーノート作品のほとんどを手がけるようになったが、仕事が多すぎて手が回らないときには、他のアーティストにデザインを依頼することもあった。
その中には、後にポップアートの巨匠となる若きアンディ・ウォーホルもおり、彼はケニー・バレルのアルバム3作とジョニー・グリフィンの1作をデザインしています。

後年、リード・マイルスは写真家としても活躍し、彼の写真はボブ・ディラン、ジャクソンズ、ニール・ダイアモンド、チープ・トリックなどのアルバムにも使われることとなります。

このように普段見かけるレコードやCDなどのデザインも
デザイナーやイラストレーター、フォトグラファーが信念をもって制作されているものなんですね。
そこに込められたメッセージ性やアート性と掛け合わされた音楽を、総合芸術として楽しむのも一つの楽しみ方だと思います。
現代ではサブスクの発展によって、現物のジャケットのインパクト性を生で感じることは難しいかもしれませんが
たまにレコード屋やCDショップに行って現物を手に取って、ジャケットを眺めながら、視聴ができれば視聴してみるのもいいいかもしれませんね。